紫色の四角い鉄の林檎、

例えば、

俺って言う人間の歯が木で出来ていて、紫色の四角い鉄の林檎を食い千切ろうと努力したけどそれは到底無理な話であって。それでも違和感のある紫色の四角い鉄の林檎を食い千切ろうとしてみた。何度も何度も必死に頑張った。そのウチ木で出来た歯はボロボロに朽ち果てて、とうとう木の歯が無くなった。

どうしよう。

紫色の四角い鉄の林檎が食べれない。あれ、そもそも林檎って紫色だっけ?なんで四角い鉄なんだろうこの「リンゴ」みたいなモノは。俺の記憶が間違ってるのか?脳の処理速度が極端に低下したのか?いや違うはずはない。アレは林檎だ。何が本当で何が嘘なのか?目で見えているモノだけが真実ではないと信じて疑わない俺が写真を始めた理由。

残したい。

俺の視線の先にある紫色の四角い鉄の林檎。

俺の世界。

俺が見る景色を。

ピカソの画は耳で見て、鼻で食べて目で匂う。顔は横を向いているのに「カレ」が佇む額縁の中の世界は360度パノラマで全てが壮大で虚無の中を漂っている。俺は、目で見て、鼻で匂い、口で食べる。そんな当たり前のセカイで生きている平凡な一人の住人。エッシャーの画の中に堕ちれば笑顔のまま迷っている事もわからない能天気な羽根付き帽子を被った町人だ。

踊るリズムの中で緑色の太陽に手を伸ばしてみたらどうなるだろう。白い水が体を焼き尽くすのか。百鬼夜行の晩に虹色の月の下に出れば何が見えるか。目線を変えれば新しい感覚が生まれる。

ファインダーを通した向こうの世界はシャッターを切れば終わりが来るのか。否、物語は続いていて記憶も記録も思念も終わりは無い。止まれば終わり、ではない。止まってからが無限で億の可能性がある。写真を一枚見ればそこから思い出が溢れ出て来る。この時はこうでアイツがここでそうなったから今俺達はここに居て幸せを感じ取れてる実感。止まったら終わりじゃない。

俺の世界へようこそ。

紫色の四角い鉄の林檎。

これからもシャッターでセカイを切り取ってみよう。

 

 

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